(訃報)弊社名誉会長 田中恭一の逝去について
弊社創業者・名誉会長であり、最高顧問の田中恭一が、2024年3月10日(日)、名古屋市内の自宅にて、老衰のために永眠いたしました。生前のご厚誼に深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。
なお、通夜および葬儀は近親者のみで執り行い、訃報のご連絡も法要後とさせていただきました。
また、ご遺族の強い意向により、ご供花、ご供物、ご香典、ご弔電、ご弔問等は固くご辞退させていただきます。
何卒ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。
記
故人氏名 : 田中 恭一(たなか きょういち)
生年月日 : 1931年(昭和6年)7月8日(享年92歳)
出 身 地 : 愛知県木曽川町(現一宮市)
死亡日時 : 2024年3月10日(日)午後1時35分
死 因 : 老衰
なお、後日、「お別れの会」を執り行う予定ですが、日時や場所などの詳細は、決まり次第あらためてお知らせいたします。
(参考)
株式会社メニコン創業者 名誉会長 田中恭一
1931年生まれ、愛知県出身。
国民学校高等科を卒業後の1946年、名古屋市内の老舗眼鏡店「玉水屋眼鏡舗」に就職。
常連客のアメリカ将校夫人との出会いがきっかけとなり、見たことのないコンタクトレンズの研究に没頭し、1951年2月、日本で初めて角膜コンタクトレンズの開発に成功。
1952年に起業し、素材開発、デザイン開発、製造、販売までを一貫して自社で手掛けるコンタクトレンズメーカーとしての礎を築いた。
コンタクトレンズ業界を牽引するパイオニア企業のトップとして、コンタクトレンズ同業組合の発足に尽力し、一般社団法人日本コンタクトレンズ協会の会長などを務め(1994年から名誉会長に就任)、また医療機器関係団体協議会、眼科医療機器協会、眼鏡小売商協同組合などの役員も歴任、業界の発展に寄与した。
1995年、永年にわたる業界への貢献により藍綬褒章受章。2000年に社長職を長男・英成に譲り、第一線を退いてからも、社員に向け示唆に富んだアドバイスをし続け、メニコンの精神的支柱として生涯現役を貫いた。
また、「眼鏡作製技能士」(2021年国家資格新設)のPR活動のためにと公益社団法人日本眼鏡技術者協会に私費を寄付、また「田中恭一オプティカルアワード」として2022年より毎年優秀発案者を表彰するなど、眼鏡関連技術の発展と人材育成に尽力した。
趣味も多岐にわたるなか、ゴルフ・園芸をはじめ、特に板を彫り彩色した独自の達磨大師刻画は国内外の多くの名刹に奉納されている。その作品のチャリティー販売の全ての売上を慈善団体へ寄付し、活動を支援した。
【表彰歴】
1982年 国際眼科コンタクトレンズ協議会より「ジャバル・シルバー賞」受賞
1983年 「社団法人中小企業研究センター賞」全国表彰(東京商工会議所)
1992年 「薬事功労者厚生大臣表彰」受賞
「高城賞」受賞(財団法人精密測定施術振興財団)
第6回中日産業技術賞「中日新聞賞」受賞
1995年 秋の叙勲・褒章にて「藍綬褒章」受章
2004年 米国コンタクトレンズ製造者協会(CLMA)より「特別賞」受賞
2005年 米国オプトメトリー・アカデミーより「ファウンダー賞」受賞
2013年 米国オプトメトリック協会(AOA)より「レジェンド賞」受賞
国際コンタクトレンズ研究学会(ISCLR)より「生涯功労賞」受賞