コンタクトレンズのメニコン



スピリット 安全性最優先に、素材開発からコンタクトレンズづくりにこだわるメニコンは、パイオニア企業から創造型スペシャリスト企業へとさらなる飛躍をめざしています。

品質方針 より良い視力の提供を通じて、広く社会に貢献する。

株式会社メニコン会長(創業者) 田中恭一

日本で初めて角膜コンタクトレンズを開発したパイオニアであり、株式会社メニコン創業者。メニコンでは、会長自らが身を持って示し続けた「くじけず、何事にも挑戦し続ける精神」を、社長をはじめ社員一人ひとりが受け継ぎ、今日もさまざまな研究・開発を続けています。

株式会社メニコン代表執行役 田中英成

メニコンは、1951年に日本初の角膜コンタクトレンズを開発して以来、新しいレンズ素材やデザインの開発製造技術の向上、生産・品質管理体制の整備を進め、「コンタクトレンズのパイオニア企業」としてつねに業界をリードし、豊かなアイライフをお届けしてまいりました。この何事にも挑戦し続ける精神や創造性、独創性など、創業以来着実に培われた「メニコンらしさ」は、現在も脈々と息づいています。今後も、「最高の安全性」へのこだわりをさらに強化し、私自身、眼科医としての視点からも"メニコンの安全哲学"を構築していきたいと考えております。そして、高品質な製品開発を進めるとともに、眼科医療分野以外の新規事業へも果敢にチャレンジし、「創造型スペシャリスト企業」として、たゆまぬ努力を続けてまいります。

コンタクトレンズ誕生の地。

玉水屋時代の田中恭一と将校夫人

玉水屋時代の田中恭一と将校夫人

眼鏡店「玉水屋」で働いていた現株式会社メニコン会長 田中恭一(当時19歳)が、米将校夫人から「コンタクトレンズ」の話を聞かされたのが1950年。その後、田中はコンタクトレンズの研究に没頭し、1951年、日本で初めて角膜コンタクトレンズの開発に成功、現在に至っております。
この20世紀の歴史に残る医療機器が生まれるきっかけとなった地(株式会社玉水屋店頭:名古屋市中区錦)に"コンタクトレンズ誕生の地"記念プレートが設置されました。

変わらぬ安全性と進化する技術、そして情熱を表す、メニコンマーク。

メニコンマーク

メニコンのシンボルマークは、ひとりでも多くの人々の視力提供に役立ちたいという願いを込めてカタカナの「メ」をデザイン化しています。コーポレートカラーであるレッドとグリーンは視力検査のレッド・グリーンチャートをイメージしており、レッドは信頼できるパートナーとしてお客様と関わっていく真心と情熱を表す意味で「パッションレッド」、グリーンは、安全性へのこだわりを持ちながら先進の技術を追求する意味を込めて「テクノグリーン」と名付けています。

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